フィリップ・ロス,1991(柴田元幸訳,2009)『父の遺産』集英社文庫.(原題 Patrimony: A True Story)
父は三週間後に死んだ。1989年10月24日の午前零時直前にはじまり、翌日正午過ぎに終わった試練のあいだ、父は一息一息を、すさまじい力をふり絞って闘いとった。父が生涯にわたって見せた頑固な粘り強さの、最後の発露。それは大した見ものだった。 その日の朝早く、夜中に自宅の寝室から父が運び込まれた救急治療室に出かけていくと、当直の外科医が私を出迎え、「非常手段」に訴える用意ができていますと伝えた。人工呼吸器につなぐ、というのである。そうしないと望みはありません。ただもちろん――と医師は付け加えた――使ったからといって腫瘍の進行を逆戻りさせられるわけじゃありませんが。腫瘍はどうやら呼吸器系統に侵入し始めたらしかった。医者はさらにいったん機械につないだら、再び自力で呼吸できるようにならない限り接続を外すことは法律で禁じられていますと言った。決断は今すぐ下さねばならない。兄はまだシカゴから飛行機でやってくる途中である。私一人で決断しなくてはならないのだ。 そして私は、リヴィングウィルの諸条項を父に説明しサインさせた私は、どうしていいかわからなかった。機械を使うことにノーと言えば、もう父はこの苦闘を続けなくても済む。でもどうして私にノーと言えよう?私の父の生命、私たちが一度しか知ることのできない生命を終えてしまう決断を、どうして私が引き受けられよう?リヴィングウィルを持ち出すどころか、そんなものは無視して「何でもいい!何でもやってくれ」と叫ぶ一歩手前までわたしは来ていた。 しばらく父と二人きりにしてくれませんか、と医者に頼んで(といっても、救急治療室の喧噪のなかで可能な限り二人きりに、ということだが)私はそこに座り、生きつづけようと苦闘する父の姿を見守った。私は腫瘍がすでになしとげたことに気持ちを集中してみた。それは難しい作業ではなかった。担架に載せられた父は、ジョー・ルイスとの百ラウンドを経てきたように見えたからだ。人工呼吸器で延命させることができるとして、今後訪れるであろう悲惨を私は思い描いてみた。私には見えた。すべてが見えた。それでもなお私は、その一言が言えるようになるまで、長いことそこにじっと座っていなくてはならなかった。身をかがめて父に精一杯近づき、その窪んだ、台無しになった顔に唇をくっつけて、私はようやくささやいた――"Dad, I'm going to have to let you go."(父さん、もう行かせてあげるしかないよ)。父は何時間か前から意識を失っていて、私の声も聞こえていなかった。でも私は、愕然として、呆然として、しくしく泣きながら、もう一度、そしてもう一度その言葉を、私自身信じられるようになるまで父にささやいた。 それからあとは、父の担架が運ばれていくのを部屋までついていって、枕元に座っているだけだった。死ぬというのは仕事である。そして父は仕事人間だった。死ぬことはおぞましいことである。そして父は死んでいる最中だった。私は父の手を握った。それはまだ父の手のように感じられた。私は父のおでこをなでた。それはまだ父のおでこのように見えた。父にはもう届かない、あらゆるたぐいのことを私は父に言った。幸い、その朝に私が言ったことのなかで、父がまだ知らないことは一つもなかった。 (292-294ページ)
by e3eiei
| 2012-03-03 13:47
| 見聞
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