総延長2000キロに及んで市内にめぐらされた佐賀市の川と水路について、前に書いたことがある(→とか→とか)。佐賀市の水路について何かを思うときに、いつも隣市柳川の川と水路をどこかに思っている。隣の芝生ではないが、見事によみがえり、観光資源として生きているなあと思っていた。
宮崎駿製作・高畑勲脚本監督の「柳川堀割物語」(DVD)を見た。ずっと前に購入したままになっていたのをたまたま見たのだが。 とてもいいドキュメンタリー映画だった。 作品は二つの構成でみることができる。一つは有明海に面した低地柳川に張り巡らされた水路の機能とその構造を、近代以前のすぐれた理論に基づくものとして、とてもわかりやすく説き明かしてくれる。もう一つは水路再生の物語である。人びとの生活とともに生きてきた水路は、高度経済成長・列島改造計画の波にのまれてどぶ川のゴミ捨て場に変わり果てる。市は住民の意向もとりいれ、埋め立てと暗渠化で対応するべく国庫補助まで取り付ける。計画実施のために新しく設置した下水道課に赴任した係長広松伝氏は、もう一度生活の中で水路を蘇らせようと市長を説き、与えられた半年の猶予期間で計画を覆す。彼は水路の勉強をし構想を書くと同時に、もはや水路を見捨てた住民を説得するために100回に及ぶ懇談会を開き、人びとの記憶の底に沈んだ水路との付き合いを思い出してもらうという手法をとる。そして、水路の再生とともにその水路をメディアとしてもう一度住民が絆を取り戻す、という物語が描かれる。 「川とのわずわらしいつきあい」が、再生物語のキーワードとして示される。その煩わしさもひっくるめて住民が引き受けていくことで、まちを浸水と地盤沈下から守ることができる。自分たちのまちの危機は、川とそして近隣との「わずらわしい」付き合いを守っていかないかぎり防護しえないというメッセージだ。まさにジブリワールドである。 特典映像で高畑勲氏と赤坂憲雄氏の対談がある。この中で高畑は、広松伝氏が、その後市役所の中で干されていたことを語る。これだけの偉業を成し遂げたにもかかわらず、(むしろそのために)彼は二度とこの事業にかかわるポストに就けなかったのだという。 撮影は1985-86年ということだが、いま見ると、これは前の時代に属すると思う。冒頭に語られる「日本が貧しかったころどの村にも小川が流れていた、・・・日本が貧しかったころどの街にも堀割があった、・・・日本が貧しかったころ手の届くところに水辺があった」ということばは、1980年代中葉だからこそいえるのだろうなあ。 追記 マリンバによるヴィヴァルディ 「四季」「春」第2楽章
by e3eiei
| 2012-02-27 00:10
| 見聞
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