制度化する身体

米原万里 『旅行者の朝食』 文春文庫

 食いものに対する要求水準が低いことは、長いあいだ日本のかくあるべき男の、つまりサムライの美意識の強固な一角を構成していたように思う。
「食いものについてつべこべ言うヤツは男の風上にも置けない」
 というわけだ。軍隊や企業など、自我と自己の欲求を極端に抑制していくことがつねに求められる組織内で生き抜くには、欲求そのものの少ない方が、いや、できれば無い方が組織にとっても本人にとっても楽であろう。それに、組織の要請に応じて、いかなる遠隔地、僻地に派遣されようと、粗食に慣れていれば、耐えやすい。(214-5)

  制度化される身体、ということか。続く段落でそれが強烈な疎外を生むことを述べて  いる。

 アジアの中で近代日本が頭一つぬきんでていけたのは、他のアジアの諸国のように欧米の植民地にならず、逆に近隣アジア諸国を植民地にしていったおかげだが、日本軍の強さは、兵卒たちの粗食に支えられていたと言えないだろうか。戦争の遂行能力は武器や燃料、食料の継続的な補充能力にかかっており、兵站に占める食料の割合が低ければ低いほど、国家にとっては有難いわけである。
 ちなみに、第二次世界大戦中の日本軍は、ナポレオン方式を採り入れた「糧食は現地調達」であった。これが、戦場となった地域における民家にたいする襲撃、略奪、強姦行為の頻発に繋がり、現地民衆の敵意を招いて、結局は戦況を不利にした。また、第二次世界大戦中の日本軍戦死者の大半が、じつは戦闘のさなかに亡くなったのではなく、餓死だったという資料も出てきている。(215)

 戦争の話を聞くと確かに食べ物がなかったということが通奏低音となっている。だからこそ、私たちは戦地においては食料が不足しているのが「当然」だと思い込んでいる。イラクに派遣された米兵の食事風景をテレビニュースの映像で見て、これは豊かな時代の豊かな国家の兵士の食事だ、と一人合点していた。だが、時代の差ではないだろう。餓死と隣り合わせても国家のために身を挺すべく教え込まれた身体を持った兵士たちだったのだ。
『餓死した英霊たち』藤原彰著(青木書店) などに詳しいのかもしれない。
[PR]
# by e3eiei | 2006-07-17 20:48 | 見聞 | Trackback | Comments(0)

鉄の檻、または末人たち

M.ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)

 ピュウリタンは天職人たらんと欲した-我々は天職人たらざるをえない。というのは、禁欲は修道士の小部屋から職業生活のただ中に移されて、世俗内的道徳を支配しはじめるとともに、こんどは、非有機的・機械的生産の技術的・経済的条件に結びつけられた近代的経済秩序の、あの強力な秩序界<コスモス>を作り上げるのに力を貸すことになったからだ。そして、この秩序界は現在、圧倒的な力をもって、その機構の中に入り込んでくる一切の諸個人――直接経済的営利に携わる人々だけではなく――の生活のスタイルを決定しているし、おそらく将来も、化石化した燃料の最後の一片が燃え尽きるまで決定しつづけるだろう。バックスターの見解によると外物についての配慮は、ただ「いつでも脱ぐことのできる薄い外衣」のように聖徒の肩に掛けられていなければならなかった。それなのに、運命は不幸にもこの外衣を鋼鉄のように堅い檻としてしまった。(略)今日では、禁欲の精神は、……この鉄の檻[機械的生産条件に結びつけられた近代的経済秩序]から抜け出てしまった。ともかく勝利をとげた資本主義は、機械の基礎の上に立って以来、この支柱をもう必要としない。……「天職義務」の思想はかつての宗教的信仰の亡霊として、われわれの生活の中を徘徊している。(略)将来この鉄の檻の中に住むものは誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも、――そのどちらでもなくて ――一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、まだ誰にも分からない。それはそれとして、こうした文化発展の最後に現れる『末人たちletzte Menschen』にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のもの(Nichts)は、人間性のかつて達したことのない段階にまですでにのぼりつめた、と自惚れるだろうと」(364-66)。「ただしここまでくると、われわれは価値判断や信仰判断の領域に入り込むことになる。」(368)
[PR]
# by e3eiei | 2006-07-12 23:13 | 見聞 | Trackback | Comments(0)

武蔵野の地形・東京の地形

大岡昇平『武蔵野夫人』

 中央線国分寺駅と小金井駅の中間、線路から平坦な畠中の道を二丁南へ行くと、道は突然下りとなる。「野川」と呼ばれるひとつの小川の流域がそこに開けているが、流れの細いわりに斜面の高いのは、これがかつて古い地質時代に関東山地から流出して、北は入間川、荒川、東は東京湾、南は現在の多摩川で限られた広い武蔵野台地を沈殿させた古代多摩川が、次第に西南に移って行った跡で、斜面はその途中作った最も古い段丘のひとつだからである。
 狭い水田を発達させた野川の対岸はまたゆるやかに高まって楯状の台地となり、松や桑や工場を乗せて府中まで来ると、第二の段丘となって現在の多摩川の流域に下りている。
 野川はつまり古代多摩川が武蔵野におき忘れた数多い名残川の一つである。段丘は三鷹、深大寺、調布を経て、喜多見の上で多摩の流域に出、それから下は直接神奈川の多摩丘陵と対しつつ蜿蜒六郷に至っている。
 樹の多いこの斜面でも一際高く聳える欅や樫の大木は古代武蔵野原生林の名残であるが、「はけ」の長作の家もそういう欅の一本を持っていて、遠くからでもすぐわかる。斜面の裾を縫う道からその欅の横を石段で上る小さな高みが、一帯より少し出張っているところから、「はけ」は「鼻」の訛りだとか、「端」の意味だとかいう人もあるが、どうやら「はけ」はすなわち「峡〔はけ〕」にほかならず、長作の家よりはむしろ、そのにしから道に流れ出る水を遡って斜面深く食い込んだ、一つの窪地を指すものらしい。
 水は窪地の奥が次第に高まり、低い崖になって尽きるところから湧いている。武蔵野の表面を蔽う壚ム(注)〔ローム〕つまり赤土の層に接した砂礫層が露出し、きれいな地下水が這い出るように湧き、すぐせせらぎを立てる流れとなって落ちて行く。長作の家では流れが下の道を横切るところに小さな溜りを作り、畠の物を洗ったりなぞする。(第1章 「はけ」の人々 新潮文庫版 9-10)
(注)「あげつち」に「母」の字。

 ※現D2の裏の崖らしい。


 崖際に繁った樹によって遮られた窓外は、線路の向こうを流れる運河化された目黒川の彼方に、ゆるやかに戸越荏原の高台が上って、一面の焼跡になっていた。復員した勉が焼跡を見てまず感じたのは、石と土に還元されたそれら人間の住居地域に露呈した太古の地形であった。東京の山手の焼跡に彼は崖端浸蝕谷の美しさだけを見た。戦場で人間に絶望していた彼は、すべてを自然に換算して感じた。(第9章 別離 新潮文庫版 141)

陣内秀信『東京の空間人類学』(ちくま学芸文庫)を読み返したくなる一節だった。
[PR]
# by e3eiei | 2006-05-26 15:30 | 見聞 | Trackback | Comments(0)

便所

『犬が星見た』昭和44(1969)年

便所を探す。男と女の横顔が描いてある扉。女の横顔の扉を押して入る。ロシアの女たちが、壁に向いたり、こちらを向いたりして、ずらりとしゃがんでいる。立ったまま用を足している人もある。太りすぎてしゃがめないのかもしれない。その勢いのよさ――めいめいの湯気が立ち上っている。扉も衝立もない。コンクリートの床に白い大きな琺瑯洗面器風のものが、並べて埋め込んである。それは真ん中に穴が空いていて、水が時々、しゃーしゃーと流れている。(51)

ゆっくりあたりを見まわしながら用を足した。便所の中もコバルト色だ。また、この便所に入ることなんて死ぬまでないだろうな――しみじみ感傷的になった。
私が長く長く腰掛けていると、タタタタと女靴の音がして、ドーンと隣の扉を開けて入った。バターン、ガッチャリ、シャーシャー、ブー、シャー、全力をあげきった音を立て、モシャモシャモシャ、またバタン、タタタタタタ,と靴音荒く出て行った。手を洗った音はない。地元の人の元気のいいのには感心してしまう。トルストイ夫人も元気よかったろうなあ。(63-4)


「便所」という語彙を日常の中で見聞きしなくなって久しい。「便所」と表現するのはどの世代あたりからだろう。
[PR]
# by e3eiei | 2006-05-10 02:11 | 見聞 | Trackback | Comments(0)

ヴェイユの言葉:駄獣の恭順

Weil, Simone, 冨原眞弓訳,2003,『ヴェイユの言葉』みすず書房.

個人的なことにかぎるなら、わたしにとって工場での労働はつぎのような意味がありました。すなわち、尊厳の感覚や自己への敬意を支えていた外在的な(以前は内在的だと思っていた)理由のいっさいが、日常的な強制にこっぴどく打ちのめされて、二、三週間ですっかり根底から崩れてしまったのです。といっても、わたしの中に反抗の衝動が生じたとは思わないでください。それどころか、生じてきたのは私自身が一番予測していなかったもの、つまり恭順だった。あきらめきった駄獣の恭順です。命令を待ち受け、押しいただき、実行するために生を受けた、いままでもそれしかしてこなかったし、これからもそれしかしないだろう、そんな気がしたのです。こんなことを白状するのは、わたしだって誇らしくはありません。それはどんな労働者も口にしない種類の苦しみなのです。考えることさえつらい苦しみなので、この病気によって休職を余儀なくされたおかげで、自分がどれほど落ち込んでいたかをはっきりと意識したとき、わたしは自分に誓ったのです。(21)
[PR]
# by e3eiei | 2006-05-02 20:09 | 見聞 | Trackback | Comments(0)

不在者投票で警察の事情聴取?

『富士日記』 昭和43年6月13日 中公文庫(中)345

テレビで。勝山村は大量棄権の恐れがある。勝山村は三月三日の村長選挙のとき、六十八パーセントが不在者投票をしたので、警察に出頭を命ぜられ、事情を聴取された。それで、今度の参院選挙では絶対投票に行かないといいだす村民が多くなり、村役場では慌ててチラシを配って、選挙に行くように説得している。

不在者投票がかくも高い割合に上った要因は何だったのだろう。

付記
つまりは土地の有力者による戸別訪問と買収がらみの不在者投票ということであったらしい。
「なぜこういうことを申し上げるかと申しますと、実は三日に行なわれました山梨県の勝山の選挙の例ですが、この勝山村の選挙は三日の投票日ということでありましたけれども、告示から五日目にすでに六四・八%の不在投票をしてしまった、こういう事実があるわけです。これについては、もうすでに三十数名が取り調べを受けている、きのうの夕刊等でも逮捕された、こういう記事が出ておりましたが、このようにして一部の人が戸別訪問をやる。たまたまこういういなかのほうに行きますと、部落を押えている有力者、その人だけが戸別訪問をやるというような形になってまいりますと、これは当然その有力者の圧力のもとに、本来あるべき選挙の姿を曲げて公平な選挙ができなくなる。これは私見て驚いたのですが、すでに告示から五日目で六四・八%も投票が済んでしまった。しかも当日不在という理由です。」(第058回国会 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第3号 昭和四十三年三月六日(水曜日))
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0530/05803060530003c.html
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0530/05803130530004c.html
[PR]
# by e3eiei | 2006-04-13 23:41 | 見聞 | Trackback | Comments(0)

産業構造が変化する

『富士日記』 昭和42年7月11日 中公文庫(中)148

○そんなこんなで、結局、一家のうち、サラリーマンとなって定収入を持ってくる人が一人はいて、あとは野良をして、それも自分のうちで喰う分と、余れば出すというくらい作っているのが安気だねえ。
○何ていっても、サラリーマンが一番!! 能がなければ能がないように安月給を貰ってくれば、それはそれなりで、やりくりして暮らせる。頭のいいもんは事務をやればいいし、わるいもんは、土方だって、男は千五百円、女は千円とれる。旅館のアルバイトなら女でも千二百円で、食事付き、昼寝付き、おやつ付き、風呂付きで、大切に雇ってくれる世の中である。田畑を人に貸して雇われに行ったほうがいい。一日千円の日当で畑仕事の人を雇って畑を作って、今年の野菜の安値ではなあ。雇われていった方がいい。
 お上さんは顔を高潮させてしゃべる。のんきそうな私に、あてつけてしゃべりたかったのだろうか。
 ずっと前、外川さんは、「田んぼぐれえ安気なものはねえ。田植に大騒ぎして人をよんで植えてもらえば、あとはとり入れのとき、もう一度人をよべばいい」というようなことをいっていたが、あれは自分でしないで、奥さんだけがしていて、その奥さんが無口で、一人黙ってやるから、気が付かないのだろうか。

第一次産業から第二次・第三次産業へ。俸給生活者は憧れというよりも「定収入が得られる」安定した生活をもたらしてくれるという認識。農業で暮しを立てていく貧しさと不安定さがあったのか。
さらにそのなかでもまたジェンダーによって二重化した階層。
[PR]
# by e3eiei | 2006-04-13 23:27 | 見聞 | Trackback | Comments(0)

おぼえ

『富士日記』 昭和42年7月11日 中公文庫(中)149-50

ここに小屋を立てる前は、夏になると長野の角間で過した。主人は<部屋の中に座って仕事をしているらしい。字を書いているというからお習字の先生かな>などと村の人たちに噂されていたが、一日中ぶらぶらと、なんとなく子どもを連れて歩いたり、郵便局に行ったりしている私のことは「奥さんが気が変だから、頭に効くここの湯につかりに来ているらしい。その合間に字を書く仕事をしている――旦那も大変だなあ。奥さんも可哀そうだなあ」といっていたらしい)これはあとになってわかったこと)。村の女の人二、三人にとりかこまれて「東京にいるときは何をなさるのかね。東京の女の人の仕事はどんなんかね」と訊ねられ「ええと。ご飯を作って買出しに行って、また、ご飯を作って。それから洗濯もする。客がくればもてなすなどね」と答えると「はああ。おらたちは、そういうことは野良から帰って一休みするときにするなあ。いつも休んでると同じことだなあ」。羨望どころではなく、バカにされた。
もの書きというのは、虚業家だなあ、と主人はいうことがある。
私は実力なし。虚力の女だ。
[PR]
# by e3eiei | 2006-04-13 00:00 | 見聞 | Trackback | Comments(0)

おぼえ:変わらないということは変わるということ

国会NOW:決めせりふは『山猫』 小沢氏が民主代表 2006/04/08

「 国会ウオッチ!」(浜田秀夫)  (JANJAN)
国会NOW:決めせりふは『山猫』 小沢氏が民主代表         2006/04/08

 「自分が変わらなければならない」。そんな変身を訴えた小沢一郎氏が民主党の代表となった。マスメディアでも取りあげているだろうけれど、小沢氏は自己改革のため映画『山猫』(1963年)に言及した。実は、このことは昔から小沢氏が何度も繰り返して得意の、いわば決めせりふだった。監督が巨匠ルキノ・ヴィスコンティ、俳優陣がバート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレという豪華な顔ぶれの映画について、小沢氏は早くからその政治性に着目していた。

 代表選びの投票前に、候補が行った政見表明が民主党ウェブサイトにある。それを聞くと、小沢氏は「青年時代に見た映画『山猫』のクライマックスのせりふを思い出している。バート・ランカスター演じるイタリアの老公爵が、なぜ革命軍を支援するのかと尋ねられ、『変わらず生き残るためには変わらなければならない』と答えた。英語で言うと"We must change to remain the same"という。歴史上、長く繁栄した国家は例外なく自己改革を成し遂げている」とした。そうして、日本社会や民主党も改革の必要があるし、まず「私自身が変わらなければならない」と述べた。

------------------------------------------------------

さとなお

We must change to remain the same2006年04月08日(土) 9:04:46

「変わらないために変わる」はボクの好きな言葉で、このさなメモでも何度も書いている。
もともとは映画「山猫」の中でのバート・ランカスターのセリフ「We must change to remain the same」。訳すなら「変わらずにいるためには変わらないといけない」かな。

   

     とりあえずおぼえのために
[PR]
# by e3eiei | 2006-04-08 23:06 | 見聞 | Trackback(1) | Comments(0)

4日目 はつ風呂

d0000059_10482065.jpg
d0000059_10521478.jpg
[PR]
# by e3eiei | 2005-03-29 10:52