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魚人(うおんちゅう)のまぐろづけ丼

魚人(うぉんちゅう)@東小金井駅南口商店街

東小金井駅の南口商店街はずいぶんお店が入れ替わっている。このお店も去年の暮れに開店した。
一度入ってみたいと思っていたのでちょうどお昼前に通りかかったいい機会と思い引き戸をひいた。
ところが、お店は暗く、しんとしている。「何時からですか」と尋ねると「どうぞ」とご主人らしき男性がいわれる。
それで暗い店内に入る。お店はカウンターが10席に満たない小ぢんまりしたたたずまいだ。(と思っていたら、あとから奥にテーブル席があることが判明)。
席についてしばらくご主人が何か作業をされているのを薄暗い中でじっと待つ。ピアノトリオのジャズが流れている。新しいせいもあるのだろうが、お店は清潔感が漂っている。夜の部の地酒の一升瓶などを眺める。
ようやく明かりがともり、メニューをもってこられる。

メニューの筆頭は「まぐろの漬け丼」だ。以下、値段の順に炙り丼、海鮮丼、海鮮ちらし、海鮮ばらちらし、握りなどが並ぶ。まぐろの漬け丼はワンコインだ。これにする。ご飯は結構しっかり目ですかと尋ねると、そうだといわれるので少なめにお願いする。

出来上がるのを待つ間にサラリーマン風のおにいさんが来店し、そのあと自転車でやってきた大学生と思しき常連風の男女数人、さらにお年を召した常連風の男性、さらに学生さんたちと、あっという間に満席になる。お値段が安いので学生さんに人気なのだろう。大盛り無料サービスもある。

調理はお寿司屋さんにしては少し時間がかかる印象だった。
運ばれてきたのは漬け丼とあとからお味噌汁。メニューにはすべてお味噌汁がつくのだ。
お味噌汁はあら汁でこれが滅法おいしい。葱の薬味もないんだけど、ストレートにあらの出汁で魅了する。
漬け丼はごはんを適量に減らしてくれてありがたい。そしてごはんがいい。ほの温かい寿司飯とひんやりした漬けのバランスが絶妙だ。
マグロはあっさりといわゆる「普通においしい」ほどで多くも少なくもないが、寿司飯との相性がいい。ご飯がいいんだけど、好みから言うともう少し甘みと塩味を抑えたのが好きだ。
ワンコインでこれは満足なランチだ。

お隣のおにいさんの「大盛り」にした海鮮ちらしもちらと覗いた限りではいくらがぴかりと光っていてなかなか豪華だ。

12時前くらいに女性のスタッフが入り、お店も愛想良くなる。

お店を出るときにはご主人も愛想よく「ありがとうございました、いってらっしゃいませ」と言われる。
普通においしい漬け丼で満足してお出かけである。


まぐろ漬け丼は500円。
そのほかのチラシや丼は600円。
握りは700円と900円。


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by e3eiei | 2015-04-25 00:40 | 食べたもの 中央線沿線 | Trackback | Comments(0)

ピッツェリアチーロのマリナーラ

ピッツェリア チーロCIRO@東中野銀座

十番を目指して行ってみると閉まっている。硝子戸をのぞいてみるとどうやら月に2回連休になっているようだ。

お向かいのいつか行ったことのあるピザ屋に入ってみる。お昼になるかならないかという時間帯だが店内は混んでいる。テラス席を勧められる。ビニールのカーテンが張り巡らされているが、いい季節で暑くも寒くもなくてよい。

ランチはドリンクセット、サラダセット、アンティパストセット(前菜盛り合わせ)、本日のピザセットなどが用意されている。
ここはしかしシンプルにマリナーラを単品で注文する。だってピッツェリアなんだもん。お昼なんだもん。

焼く時間待つ。
大きなピザが運ばれてくる。以前ここで食べた時に28センチと聞いた。
自分でナイフとフォークで切って食べるのだ。
マリナーラはトマトソースにオレガノとニンニクとオリーブオイルという、極めてシンプルなピザだ。
鋭角の二等辺三角形に切り分けて食べる。生地がもちっとしてトマトソースが軽いハーブの風味とかすかなニンニクの香りでいい。
午後のことを考えてトッピングのスライスニンニクはよけて食べる。切り分けては口に運ぶ。

これは軽くてなかなかいい。

テラス席はマダ~ムの3人連れのグループが、前菜つきのピザにワインボトルで盛り上がっておられる。
お客さんが次々と来ては満席で帰って行かれる。人気のお店だなあ。

かくして無事に食べ終え、マダ~ムのピザが運ばれたころに席を立つ。

マリナーラ(単品)は500円。
これでワンコインはいいね。

以前の訪問の記録



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by e3eiei | 2015-04-24 00:45 | 食べたもの 中央線沿線 | Trackback | Comments(0)

備忘 芥川龍之介「桃太郎」そして「手巾」

ちょうどひと月ほど前、青空文庫をぱらぱら見ていて芥川龍之介の作品をいくつか読んだ。
その中でも「桃太郎」は昭和初期当時の不安だけではなく、その数十年後の世紀末に至るまでをも予言しているようで非常に気持ちが掻き乱された。

ストーリーはお伽噺の「桃太郎」のパロディーとも読める。勇敢に「鬼征伐」に赴いた桃太郎の活躍を、鬼の立場から再構成した物語だ。何の過ちも無礼も働いていない鬼が島の鬼たちは、怠惰で強欲な桃太郎が「鬼が島を征伐したいと志した故」に攻め入られ、残忍に殺され、凌辱され、生け捕られる。
芥川の「桃太郎」で作者の筆が冴えわたり本当に怖いと思うのは、最後の2章、とりわけ2つのパラグラフだ。
桃太郎の凱旋は日本中の子どもたちがよく知っているが、と言っておいて、しかし生き残った鬼はときどきやってきては桃太郎を襲おうとしたので桃太郎は幸福に余生を送ったわけではなかった、と続ける。そして次のように結ぶのだ。
 その間も寂しい鬼が島の磯には、美しい熱帯の月明りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ほどの目の玉を赫かせながら。・・・
 人間の知らない山の奥に雲霧を破った桃の木は今日もなお昔のように、累々と無数の実をつけている。勿論桃太郎を孕んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉は今度はいつこの木の梢へもう一度姿を露わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。・・・
欲に目のくらんだ男が根拠の薄弱な殺戮の限りを尽くした土地では、テロリストを生み出した。
そして、桃のなかには「未来の天才」がまだ何人とも知らずにぶら下がっているのだ。


芥川の作品を長い間敬遠していた。何となく義務教育の教科書のなかで道徳的規範的な匂いをまとって取り上げられているように感じていたのだ。
あれ、と思ったのは「手巾」だった。
作品のなかで、長谷川先生は教え子の母の訪問を受ける。息子が病死したとお世話になったお礼を言うその母は美しく微笑んでいる。たまたま何か落としたものを拾おうとした先生は、テーブルの下で膝の上のハンケチを引き裂かんばかりに握りしめて震えている母親の指先をみる。女性は顔でほほ笑みながら全身で泣いていたことを知るのだ。
そして、その晩先生はストリントベルグの演劇論の一節を目にする。
「顔は微笑してゐながら、手は手巾を二つに裂くと云ふ、二重の演技であつた、それを我等は今、臭味(メツツヘン)と名づける。・・・」
そして最後のパラグラフはこう結ばれる。
先生は、本を膝の上に置いた。開いたまま置いたので、西山篤子と云ふ名刺が、まだ頁のまん中にのつてゐる。が、先生の心にあるものは、もうあの婦人ではない。さうかと云つて、奥さんでもなければ日本の文明でもない。それらの平穏な調和を破らうとする、得体の知れない何物かである。ストリントベルクの指弾した演出法と、実践道徳上の問題とは、勿論ちがふ。が、今、読んだ所からうけとつた暗示の中には、先生の、湯上りののんびりした心もちを、擾さうとする何物かがある。武士道と、さうしてその型マニイルと――
先生は、不快さうに二三度頭を振つて、それから又上眼を使ひながら、ぢつと、秋草を描いた岐阜提灯の明い灯を眺め始めた。……
平穏な暮らしの調和を乱そうとするもの、西山夫人の見せた子を亡くした悲しみという自然の感情の発露を極限まで抑えつけて微笑みを演じるという「マニイル」の不愉快さに言及する。

この「手巾」も「桃太郎」も、最後の最後に物語の要諦がさらりと示されるのだ。注意深く読まなければ読み落としてしまうほどのさりげなさで。時代の不安、時代の不快が刻まれた、この研ぎ澄まされた表現を読み落としてはならない。

去年読んだ「お富の貞操」も面白かった。もちろん人気作品「蜜柑」や「藪の中」「河童」もよかった。



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by e3eiei | 2015-04-23 01:20 | 見聞 | Trackback | Comments(0)