『忘れられた巨人』(カズオ・イシグロ)を読む。

カズオ・イシグロ(2015)土屋政雄訳『忘れられた巨人』早川書房.

アーサー王のころを舞台に老夫婦を主人公としたファンタジー物語風の作品だった。読み始めは、人の記憶と捕まえようとするとすっと遠のく認識像を描き、『充たされざる者』のような意識世界を描くのかと楽しみにしてみた。読み終えるとそういうわけではなく、むしろ現代社会に対するメッセージを直接に強く感じるような寓意性の強い作品であった。
クエリグという雌龍の吐く息による霧がかかり人々全体が忘却のなかにいる。何か大切なことがあったような気がしていても、眼前のことに気持ちを奪われたりするのだった。
このクエリグを殺して記憶を取り戻すこと(の是非)が物語の底流となる。人が皆忘れてしまっているということの意味、それを思い出し記憶にとどめるというのはどういう意味を持ち始めるのかということを作品は問う。

忘却と記憶のテーマは「夫婦の愛情」、そして「戦闘と平和」という二つの主題にそって進行する。
「ほら、アクセル、この手をとって、勇気が萎えそうなわたしを支えて。だってね、霧が晴れるのを恐れているのは、あなたより、むしろわたしだと思う。さっきあの石のわきに立っていたときにね、不意に、昔あなたにひどいことをしたような気がしてきました。その記憶がすっかり戻ってくるとしたら…手が震えているのがわかる? あなたはどう言うかしら。わたしをこの吹きさらしの山に捨てて、去ってしまわないかしら。だから、あの勇敢な戦士を前に見ながら、あの方に倒れてほしいと願う気持ちさえあるの。でも、やはり隠れることはしたくない。それはいや。あなたも同じじゃない、アクセル? 二人で一緒に歩いてきた道ですもの、明るい道でも暗い道でもあるがままに振り返りましょう。(p.364)
「わたしは息子の墓に行くことを妻に禁じたんです、船頭さん。残酷なことでした。息子の眠る墓に妻は一緒に行きたがった。わたしははねつけた。・・・/「息子さんの墓参りを奥さんだけでなくご自身にも禁じるとは、それで何をしたかったのですか。/「したかった? したかったことなどありません、船頭さん。ただ愚かだっただけです。それと自尊心。そして人間の心の奥底に潜む何か。もしかしたら罰したいという欲望だったかもしれません。わたしは許しを説き、実践していました。しかし、復讐を望む小さな部屋を心の中につくっていて、そこに、長年、鍵をかけてきました。つまらないことで妻にひどいことをしました、息子にもです。(p.404-5)
「教えておくれ、お姫様」爺さんが言っている。「おまえは霧が晴れるのを喜んでいるかい」/「この国に恐怖をもたらすかもしれないけど、わたしたち二人にはちょうど間に合ったって感じね」/「わたしはな、お姫様、こんなふうに思う。霧にいろいろと奪われなかったら、わたしたちの愛はこの年月をかけてこれほど強くなれていただろうか。霧のおかげで傷が癒えたのかもしれない」(p.410)
忘却の霧が晴れることで見えてくる記憶は、あまりにも禍々しいものだった。記憶を取り戻すことで禍々しい過去の自分と再び直面せざるを得なくなる。傷を負った二人の過去と向き合わないわけにはいかなくなる。忘却によって愛は強くなっていったのか。
そして、もう一つのテーマは憎悪と戦闘と平和。
「・・・あれから長い年月を経たとはいえ、この息が止まったとき、いまでも国中で何か起こりうるか考えてみよ。われわれは多くを殺した。認める、強き者弱き者の区別なく殺した。あのときのわれらには神も決してほほえまなかったであろう。だが、この国から戦が一掃されたのも事実だ。この国を去りなされ。お願いする。貴殿とは祈る神が違えど、貴殿の神もこの龍には祝福を賜るのではないか」/ ウィスタンは穴に背を向け、老騎士を見た。/「悪事を忘れさせ、行った者に罰も与えぬとは、どんな神でしょうか、騎士殿」(p.369)
「何のことでしょう、戦士様」とベアトリスが尋ねた。「これから何かあると言うのですか」/「正義と復讐です、奥さん。これまで遅れていた正義と復讐が、今や大急ぎでこちらへやってきます。もうすぐです。わたしの心が今乙女のように震えているのは、わたしがあなた方の間に長くいすぎたからに違いありません」/「最前おっしゃった言葉が耳に残っています」とアクセルが言った。「平和のうちに進めと言いながら、もはや平和などありえないとも言われました。・・・」/「アクセル殿はわかりはじめておられるようです。わたしの王が雌龍退治を命じられたのは、かつて虐殺された同胞への記念碑を建てるためだけではありません。もうおわかりでしょう。龍退治は、来るべき征服に道を開くためです」(p.382-3)
「ほんとうにな、お姫様。戦士殿の言葉にわたしは震える。お前とわたしは、懐かしい記憶を取り戻したくてクエリグの死を望んだ。だが、これで古い憎しみも国中に広がることになるのかもしれない。二つの民族の間の絆が保たれるよう、神がよい方法を見つけてくださることを祈るしかないが、これまでも習慣と不信がわたしたちを隔ててきた。昔ながらの不平不満と、土地や征服への新しい欲望――これを口達者な男たちが取り混ぜて語るようになったら何が起こるかわからない」/「恐れて当然です、アクセル殿」とウィスタンが言った。「かつて地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出します。遠からず立ち上がるでしょう。その時、二つの民族の間に結ばれた友好の絆など、娘らが小さな花の茎で作る結び目ほどの強さもありません。男たちは夜間に隣人の家を焼き、夜明けに木から子供を吊るすでしょう・・・」(p.384)
ここでも著者は忘れることによって平和が生み出され維持されてきたと語る。記憶を取り戻すことは復讐の戦闘へと向かう契機になる、というよりむしろ積極的に戦闘し征服する理由となる記憶を取り戻そうとするのだ。戦闘をする根拠になるかつて傷つけられた記憶と憎悪、復讐心を掻き立てるために、忘却の霧を吐き続ける龍を殺して記憶を取り戻すのだと。

前作の『わたしを離さないで』もそうだったが、現代社会にある社会問題を一つの物語に封じ込めてメッセージを伝えるという手法のようだ。
前作では先端再生医療に潜在する尊厳の問題を、SFに仮託して描いた。主人公たちが子どもであったために哀しみと懐かしみのあるテイストが基調だった。
本作は中世の物語であり、主人公も高齢、せりふ回しも時代がかっていたためか、少し読みにくさがあった。
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追記(8月29日)
最後のところを考えていた。アクセルはベアトリスとともに息子の眠る島に渡るつもりでいた。しかし、船頭はひとりずつしか船には乗れないという。
夫の姿をもうとらえることもできなくなっていて、船の中で「島」に渡る準備をすませている妻を、夫は抱きしめて別れを告げる。
「じゃ、さようなら、アクセル」
「さようなら、わが最愛のお姫様」
これは島を往復する小舟をほんの束の間待つ人たちの交わす挨拶ではない。二人は口には出さないが最期の挨拶であることを知っていた。
そしてアクセルは船頭を見ようともせず、海に背を向けてどんどん陸の方に歩いていく。




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by e3eiei | 2015-08-28 11:03 | 見聞 | Trackback | Comments(0)
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